青木分譲地は県道369号線(板室街道)の中間地点に位置しており、東に8.5キロ行けば黒磯駅、西に9キロ行けば板室温泉というアクセスの良さです。
黒磯市街地の駅前周辺は近年再開発され、図書館「みるる」や交流センター「くるる」周辺のレトロな街には、おしゃれな若者たちの姿が多く見られます。
江戸時代には白河と氏家を結ぶ原街道が黒磯市街地を通過していました。廻米や物資の迅速な輸送のために会津藩によって原街道が整備されたのでした。今も黒磯駅前付近には東北本線に平行に旧原街道が残っています。旧街道沿いには有形文化財の高木会館(旧黒磯銀行本店で現在はカフェレストラン)や黒磯神社があり、古い墓地を通り那珂川へと下っていき、東北本線架橋下付近を渡河して高久へと向かいました。原街道は明治になって国道4号線へと整備されていきます。(写真①)
<写真① 会津藩により整備された原街道と有形文化財の高木会館(旧黒磯銀行)(右)>
黒磯と那須をつなぐ晩翠橋の那珂川上流付近には「河畔公園」や「鳥の目河川公園オートキャンプ場」などの広大な水際公園があり、市民やキャンパーたちの憩いの場となっています。(写真②)
<写真② 春には桜が満開になる鳥の目河川公園オートキャンプ場>
369号線沿いの人気スポットといえば、やはり道の駅「明治の森」ですね。青木分譲地から散歩にちょうどよい距離の「明治の森」は、地域の特産物や新鮮野菜などが販売され、青木家那須別邸や芝生広場・森・花畑など、散策や待ち合わせなどにも便利で多目的な道の駅です。現在、道の駅店舗がリニューアル工事中で、令和6年10月オープン予定です。(写真③)
<写真③ 明治時代に、ドイツ公使や外務 大臣等を務めた青木周蔵が那須別邸として建てた建造物です。平成11年12月に国重要文化財に指定されました。>
「明治の森」の斜め向かいにはよく整備されたサッカー場が3面あり、週末には子どもたちや若い選手たちがボールを追いかける姿が見られます。サッカー場の奥の方にはホースガーデンもあり、乗馬練習する子どもたちの姿も見られます。那須野が原ならではの広々とした風景です。(写真④)
<写真④ 那須高原にあるサッカー場。人工芝のピッチが2面と天然芝のピッチが1面ある。>
戸田交差点付近の旧戸田小学校には「北風と太陽」というレストランがあります。障害者の就労継続支援事業として廃校がリニューアルされ、2019年4月から、食事とアートを楽しめる空間となっています。手頃な価格でおしゃれなランチコースやオリジナルケーキなどをノスタルジックな雰囲気で味わうことができます。
戸田交差点を過ぎて森を抜けると牧草地が広がり、百村の集落が左前方の百村山の麓に見えてきます。江戸時代に会津中街道の宿場として発展し、1696年、会津藩主が参覲交代の際、会津若松城を出発した約400名が4月6日に宿泊しました。その会津中街道は369号線の松原バス停を横切って、那珂川沿いの油井集落に向かって50mほどの段丘を下り、渡河します。
再び369号線にもどって百村から板室方面に向かい、トンネルを一つ抜けると木の俣渓谷を渡ります。木の俣橋周辺は木の俣園地として整備され、遊歩道沿いに「巨岩吊り橋」が架けられ、清流の美しさが人々を魅了します。4月下旬ごろにはニリンソウやヤマブキソウなどの山野草が群生して咲きますが、地元の植物愛好家にとっては秘密の花園のようです。(写真⑤)
<写真⑤ 那珂川の支流木の俣川はまさに清流そのもの。また、渓谷沿いには緑も多く、春の新緑、秋の紅葉、オオバヤナギ(群生地)も楽しめるスポット。>
369号線をさらに奥へと進むと、綱の湯などで有名な幸の湯温泉、そして二つめのトンネルをくぐり抜けると、そこには秘境感ただよう板室温泉街が現れます。バブル期にはにぎやかだったそうですが、那珂川渓谷沿いには営業している温泉が5軒ほどと蕎麦屋さんが1軒あるだけです。そこから5分ほど那須高原スカイラインを走れば、乙女の滝のたもとにある和食店の「山水」で、那須の自然と味を満喫できます。(写真⑥)
<写真⑥ 板室温泉は那珂川上流の山あいにあります。この温泉は、後冷泉天皇の時代、平安の康平2年(1059年)3月に、那須三郎宗重が狩りのために山奥に入り発見したと伝えられています。>
このように青木周辺は、板室や那須・塩原へのアクセスが良く、黒磯駅や那須塩原駅へもスムーズに行くことができ、高速道路インターやアウトレットも近い場所です。移動手段は公共のバスも運行しており、魅力満載の広域観光地域だと言えます。